世界遺産であるセビリア大聖堂・ヒラルダの塔の歴史は、その他の歴史的建築物にも稀に見ない壮絶な歴史があります。
それはなんと1184年から始まり、1506年までの322年もの間、異なる宗教や異なる建築スタイルを混合しながら完成しました。
ここでは大聖堂が完成されるまでの長い歴史を、大聖堂の土台となったイスラム教のモスク時代から簡単に説明します。
多くの建築家やアーティストの心を鷲掴みにする、セビリア大聖堂の歴史を是非知って欲しいと思います。
【世界遺産】セビリア大聖堂・ヒラルダの塔とは
セビリア大聖堂は、スペイン南部アンダルシアのセビリアにある世界最大のゴシック様式の大聖堂です。
世界最大のカトリック大聖堂 (サンピエトロ大聖堂は実際には大聖堂ではありません) であり、ローマのバチカンにあるサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ 3 番目に大きな寺院です。
長い年月を経て建築され、歴史のある建物の為、複数の宗教と建築スタイルが混合されているのが特徴で、歴史的に貴重な存在です。
1987年にユネスコにより世界遺産に登録されました。
セビリア大聖堂・ヒラルダの塔の歴史は?
1184年~1198年 イスラム教支配下 アルモハドモスク建築
1248年11月23日 フェルナンド三世(レコンキスタ) キリスト教徒が支配
1356年 地震により大聖堂が損傷
1401年7月8日 大聖堂支部が新しい教会の建築を命令
1506年 完成
1568年8月13日 ヒラルディージョ(塔の名前の由来となった回転彫刻の設置)
セビリア大聖堂自体は1401年~1506年という長い年月をかけ建築されました。
しかし、その土台となるモスクがあったからこそ現在のセビリア大聖堂が存在します。
実は、セビリア大聖堂が建つ場所にはもともとイスラム教のモスクがあったのです。
時代の変化の領地支配による2つの異なる宗教が生み出した、壮大な歴史を物語るセビリア大聖堂・ヒラルダの塔の歴史背景にはイスラム教とキリスト教があるのです。
イスラム王朝時代(セビリア大聖堂の土台)
セビリア大聖堂の歴史ははるか昔、12世紀の中世時代にさかのぼります。
セビリアは中世時代の1147年から、イスラム王朝の支配下にありました。
当時セビリアを支配していたのは12世紀に北アフリカとスペイン南部を支配したイスラム王朝 (1130~1269) 、アルモハド朝(ムワッヒド朝)です。
マラケシュを首都に反映したこのアルモハド朝は、アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世の即位後1171年からセビリアを事実上の首都として、モスクや宮殿建設を行いました。
その時に建築されたアルモハドモスク(1184~1198)が後のセビリア大聖堂の土台となります。
レコンキスタによるセビリアの制服
カスティーリャ王フェルディナンド 3 世は 1248年 11月 23日にこの都市セビリアを征服しました。(レコンキスタ)
これによりイスラム教の支配から、キリスト教の支配へと変わり、寺院の歴史の新たな章が始まります。
その結果、キリスト教のイベリア半島での支配を象徴するものとしてアルモハドモスクは大聖堂へと改築されることになります。
セビリア大聖堂・ヒラルダの塔 ができるまで
セビリアはイスラム教からキリスト教の支配へと変わり、そのため14 世紀の終わりに古いモスクは取り壊され、同じ場所にゴシック様式の寺院が建てられました。
1356 年の地震により寺院の構造が著しく損傷したため、1401年7月8日大聖堂支部は新しい教会の建設を命令しました。
この大聖堂の最初の建築家は、アロンソ・マルティネスだったと考えられています。
その後、ゴシック様式の寺院の建設が完了したものの、20年後に ルネサンス様式の部屋を追加することが決定され、参事会室、聖具納室が追加されました。
そのためセビリア大聖堂はゴシック様式からルネサンス様式まで見られる大聖堂として知られ、多くの芸術家の関心を集めています。
また、セビリア大聖堂の南に位置するヒラルダの塔もイスラム時代のミナレットが土台となっています。
ヒラルダの塔は、12世紀末にイスラム教徒により、一辺が13.6m、高さ75mの塔がミナレットとして建設されました。
レコンキスタ後の1356年に起きた地震で、もともと頂上にあった金属の球が落下したため、1400年に十字架と鐘が設置されました。
その後16世紀にエルナン・ルイス2世により十字架はルネッサンス様式の鐘に置き換えられ、塔の高さは96mになりました。
その仕上げとして、1568年8月13日ヒラルダの塔の名前の由来となった、キリスト教の勝利をあらわる旗と羽をもった女性の回転彫刻が設置されました。
スペインではこの彫刻のように風と共に回転する彫刻(風見鶏)をGiraldillo(ヒラルディージョ)と呼ぶことから、『ヒラルダの塔』と呼ばれるようになりました。
ヒラルダの塔は、緩やかな坂道のスロープでできており、ロバや馬で昇ることができるように構成されています。
そして、上部からはセビリアの素晴らしい景色を見渡すことができます。
セビリア大聖堂・ヒラルダの塔が世界遺産に登録された理由は?
まず第一に、セビリア大聖堂はゴシック建築の傑作であり、その建築様式や技術は非常に優れています。大聖堂の建設は約100年にわたり続けられ、その間に多くの工夫や革新がなされました。
その美しさや建築的価値は、世界的に認められています。
さらに、セビリア大聖堂は異文化の融合を象徴する建造物でもあります。
それには、元々イスラム教のモスクが建っていた場所にキリスト教の大聖堂が建設されたという歴史的経緯があります。そのため、内部にはイスラム建築の要素も取り入れられています。この異文化の交流や融合が、セビリア大聖堂を特別なものとして位置付ける要因の一つです。
最後に、セビリア大聖堂はスペインの歴史や文化において重要な役割を果たしてきました。その建設や発展は、スペインのキリスト教徒とイスラム教徒との間での対立や融和、また権力の象徴としての役割も持っていました。
そのような歴史的背景も考慮され、セビリア大聖堂が世界遺産に登録された理由の一つです。
セビリア大聖堂・ヒラルダの塔の特徴は?
セビリア大聖堂・ヒラルダの塔は、その他のキリスト教の大聖堂とは異なった構造になっています。
大聖堂は 5 つの身廊を持つ珍しい建物で、東を向いたイスラム教の方向に配置されています。
この建物の最も興味深い部分は、キリスト教の大聖堂にもかかわらず、その他の大聖堂の特徴とは全く異なった形で建築されているからです
その理由は、もともとイスラム教の寺院であるモスクがあった場所に建てられたことと深く関係があり、がその居間の間取りはミリ単位でアルハマのモスクと一致する完全な長方形でできています。
また、モスク時代の珍しいドアの配置も受け継がれていて、壁に関してはとても薄くできています。
礼拝堂は神殿の中心軸に垂直な橋台によって区切られており、 28 本の大きな柱で支えられています。さらには、32本の独立した柱が 68 個のアーチを支えています。
また、138ものステンドグラスの窓があり圧倒されますが、窓が小さく美しいステンドグラスを支えているため、自然光はほとんど入りません。
ヒラルダの塔は、セビリア大聖堂の塔と鐘楼として機能しています。
ヒラルダの塔が建つ正方形の土地は海抜 7.12 メートルに位置し、一辺が 13.61 メートル、高さが 96メートルに及びます。
この塔はマラケシュ (モロッコ) のクトゥビーヤ・モスクのミナレットをイメージして建てられましたが、上部の仕上げと鐘楼はヨーロッパ ルネサンス様式のものです。
印象的な中央身廊には、大きなパイプオルガンが両側にある聖歌隊席と、主祭壇画を収容する 4 階建てのメイン礼拝堂という 2 つの建物があります。
その中には、サン・フェルナンド・レイの身廊、トランセプト (その丸天井は建物内で最も高い)、トラスコロのがあります。
ロイヤル チャペルは大聖堂のメインの場所となります。半球形のドームとランタンカバーが特徴的です。この礼拝堂には、フェルナンド3世と、その息子のカスティリャ王アルフォンソXと、そして当時の王室の他のメンバーが埋葬されています。
そして、チャペルの中にはセビリア大司教区の守護聖人であるサンタ・マリア・デ・ロス・レイエスのゴシック様式の像も見られます。
また、セビリア大聖堂にはコロンブスの墓があることでも知られています。
有名なアメリカ発見者 クリストファー・コロンブスの墓は、アルトゥーロ・メリダの作品である霊廟で、大聖堂の翼廊の右腕に位置します。
財務省とアートギャラリー、寺院の宝物や、サン イシドロやサン リアンドロの肖像画など、ムリーリョの多数の絵画も見どころです。スルバラン作の聖テレサや洗礼者聖ヨハネの彫刻などの絵画が展示されています。
まとめ
セビリア大聖堂・ヒラルダの塔には、想像できないほど長く興味深い歴史がありました。
・12世紀はイスラム教が支配していたため、セビリア大聖堂のある場所にはモスクがあった。
・後に、キリスト教がセビリアを取り戻し、モスクが大聖堂に改築。
・改築にも100年余りかかり、その為ゴシック様式とルネサンス様式が混ざり合った芸術的にも興味深い建築物となった。
・現在は世界遺産として登録されている
私も初めてセビリア大聖堂・ヒラルダの塔を目にした時、その大きさと迫力、その上細部まで手の込んだ彫刻にただただ感動しました。
外観だけでも、息をのむほど素晴らしいこの大聖堂は、中に入るとその大きさに驚かされます。
この時代の流れが作り出した 世界最高の傑作、是非見ていただきたいです!
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